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差し詰め女というものは、危篤の夫を前にすれば脇目も振らず取り乱し、啜り泣くものであろうと、半ば理想のように思っていたからだ。
しかし濃姫は、土田御前のしっとりと濡れた双眼。
微かに震える膝の上の両手を、見逃してはいなかった。
『 お痛わしき義母上様…。多大なお悲しみを、左様な鬱憤を口にすることで堪え忍んでおられるとは… 』
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強がって見せていても、土田御前の心底には、長の歳月を共に過ごした良人の危篤に脅え、涙する、もう一人の自分がいた。
しかし、既に若き身ではない自分が、夫の枕元にすがり付き、めそめそと涙を流したのでは如何にも見苦しい。
第一そんな事は、彼女のプライドが許さなかった。
土田御前は、あくまでも貴人の妻として、誇り高い姿勢で夫の最期を看取りたかったのである。
そんな姑の思いを、濃姫が密かに慮(おもんぱか)っていると
「──失礼致します。…姫様、お耳を」
三保野が上半身を軽く折り曲げながらやって来て、濃姫にそっと耳打ちした。
何でも、信長がたった今城に到着し、こちらに向かっているというのだ。
濃姫はサッと顔を上げると、信勝や土田御前に「少し失礼を致します」と告げ、その場を中座した。
夫を出迎えようと、濃姫が城の長廊下を足早に進んで行くと
「──殿っ!」
焦りの形相で駆けて来る信長と鉢合わせた。
知らせを受けて大急ぎでやって来たらしく、微かに冷気の残る季節だというのに、信長は真夏のように汗だくだった。
「濃!親父は!…親父は無事か!?」
「意識はございますが、大変危険な状態でございます」
「親父はどこにおる!?」
「案内(あない)つかまつります」
濃姫は素早く踵を返すと、信長を連れて元来た道を戻り始めた。
「──大殿!!」
「──しっかりなされませ!大殿!」
「──ち、父上!わたしの声が聞こえますか!?」
二人が信秀の寝所の前にやって来ると、中から信勝や家臣たちの、嘆声にも似た叫び声が聞こえてきた。
濃姫と信長の顔に緊張が走った。
「親父ッ!!」
信長が慌てて寝所に駆け込むと、信秀の布団の周りを、医師や家臣たちが緊迫の面持ちで取り囲んでいた。
思わず最悪の二文字を脳裏に過らせた信長だったが、この時、信秀にはまだ若干の息があった。
信長は医師や家臣たちを掻き分け、急いで信秀の横に座すと
「しっかりしろ親父!まだ早過ぎる…!逝ってはならぬぞ親父殿!!」
涅槃へと旅立ちかけている信秀を引き戻そうと、必死に声をかけた。
すると信秀の身体が一瞬ピクリと反応した。
それと同時に、伏せていた目蓋が、ほんの僅かに持ち上がる。
「─! お、親父!聞こえるか!?親父!」
耳元で信長の声が響くと、信秀の右手が弱々しく上がり、誰かの手を求めるように、宙でふらふらと揺れた。
「……の…ぶな…」
信秀の渇き切った口から、絞り出すような呟きが漏れる。
信長は父の手を取ると、自分の存在を伝えるようにギュッと固く握り締めた。
「信長はここじゃ!儂ならばここにおるぞ!」
「………む…」
何かを告げようとする父の口元に、信長はハッとなって耳を近付ける。
「何だ!? もう一度言うてくれ!」
「……」